感動の話が創作だと知り怒る人たちは、何に対して怒っているのだろう

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感動的な話がネットやSNSで流れています。最近はGIFなどを使った紙芝居風動画も見たりしますが、後で創作と知ると罵詈雑言を浴びせたりする人いますよね。何に対して怒っているのでしょうか?感動を返せってか?!

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感動を返せってか?!

「嘘です」・「ネタです」と言われると猛烈に怒るとか、以前観ていたら、「これ、作り話!」と、わざわざ言ったりは、本当に意味分からないです。実話でも創作でも良いと思いますよね。

ドラマとかで、最初からフィクションと書いていると文句も出ないですが、フィクションと言ってない作品が、フィクションと分かった瞬間の一変する姿・・・、ただの嘘つき呼ばわりですよね。

「この物語はフィクションです」

て常時記載してないと駄目なんでしょうか?

当然、「この話は実話です」と書いていて、フィクションなら文句を言われても仕方がないです。しかし、感動的な話とかネットで見ていると、実話とも創作とも書いていない事が多いですよね。

多くはフィクションて記載がないです

テレビで、公正に真実を伝えるべき報道番組ですら、編集をして偏った思想を生み出すようなことも最近多いですが、それでも「一部偏って報道しています」とは書いていませんよ。

ネットニュースとかでよく出てくる「関係者の話」も、真偽が怪しいものが溢れていますよ。

  • 関係者が実在するのか?
  • 関係者が本当に関係者なのか?
  • 関係者が嘘ついていないのか?

分かりませんよ。また筆者は、関係者が嘘をついてても、筆者が知らなければ、筆者自身は嘘をついていません。そして、真実ですとも創作とも書いていない。

ニュースのように実話が前提の場合や、寄付を募るとかであれば、実話と思わすような編集は駄目ですし真偽は明確に記載が必要だと思います。

しかし、例えば文字だけの作品であれば、誰でも創作可能ですし、「最初から疑ってかかれ」とまで言いませんが、それが重要ではないと思います。

作者が求めること

結局、作者が求めることって、「感動」をしてもらいたいだけであって、その話を信じて欲しい訳ではないですよね。

だから、作者も深くその辺は考えず、実話かフィクションかも書かずに公開していると思います。

真実なら「これは実話です」と、逆に必ず書くと思いますよ。

純粋に、素晴らしいとか感動するだけで良いと思いませんかね。すごく短い短編小説や映画を自作されただけですよ。

良い作品をありがとうと感謝はしても、怒る理由はない!

まとめ

真実を伝えるべきニュースなどが偏向されることもあり、最近は何でも純粋に信じることが難しくなっています。しかし、感動話などは、小説や漫画を読んでいるのと同じと思いますから、内容を重視する方が大事だと思います。

この小説、フィクションかな実話かなと逐一確認する人も少ないと思いますし、最近は便利な言葉で「ベースにする」とか「ヒントを得て」などとも言われて、曖昧なこともありますけど、内容が一番大事

誤解させようとしているのも多いから

紙芝居風の動画で、背景を著名人の写真や創作物にしているのが時々あります。

例えば、背景がモナリザの絵で、適当な文が流れる動画があるとします。一瞬レオナルド・ダ・ビンチが言った言葉かと思いますが、「モナリザが好きだから」とか「背景が寂しいから」と勝手に使った可能性もあるわけです。

これは本当に怪しい。その著名人関係するのか?と疑いますよね。ネットは、炎上商法が多くなったせいで、とりあえず集客して、知らん顔もよくある話です。

「〇〇氏が言いました」と文字として一言も書いていない場合は、真に受けて、その人が言ったとは、絶対に思っては駄目ですよね!

でも、良い話とか為になる事なら覚えておいて損はないですし、疑ったり怒ったりって本当に時間の無駄です。損害がないなら、知識を得て、得をしたと思ってれば良いと思いますよ

と、思いました。

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